※ 多少のネタバレを含みます。ご注意ください。
非常に面白かった作品で、皆さんに読んでほしいのでできる限りネタバレを避けて面白かったポイントを紹介します。
あらすじ
「密室の不解証明は、現場の不在証明と同等の価値がある」との判例により、現場が密室である限りは無罪であることが担保された日本では、密室殺人事件が激増していた。
そんななか著名なミステリー作家が遺したホテル「雪白館」で、密室殺人が起きた。館に通じる唯一の橋が落とされ、孤立した状況で凶行が繰り返される。
現場はいずれも密室、死体の傍らには奇妙なトランプが残されていて――。
プロローグだけで面白い
この項目はまだプロロークだけしか読んでないのに書きました。
テーマ設定にリアリティがあって面白い。
被疑者はいるのに、「アリバイと同じように密室なら物理的に犯行が不可能であるため、無罪だ」という主張が認められて無罪を勝ち取る。
この事件から日本で密室殺人が横行するようになった世界が本作である。
密室殺人で変わる社会
ここからは読了後の感想。
前述した通り、3年前の密室殺人は犯人がわかっているにも関わらず最高裁までもつれて無罪になった。裁判の争点となったのは密室による殺人の不可能性。アリバイがあれば無罪になるように、物理的に殺人が不可能であれば無罪であるべきだというのが弁護側の主張だった。
その後、3年間で日本では302件の密室殺人が発生し、1年に起きる殺人事件の3割が密室殺人であったように「密室黄金時代」が到来する。
この作品では「もし日本で密室殺人が成立したら」という思考実験も行っている。
密室殺人への対応
ここまで密室殺人が発生すると、社会が対応してくる。警察は「密室課」が創設され、密室の専門家の「密室探偵」が現れ、法務省は密室を15種類の分類に分けた「密室分類」を発布した。
また、密室トリックに隠し部屋が使われていないか確認する「密室鑑定業者」まで現れた。
十戒
館で最初の事件が起こった際にトランプのハートのAが扉に張り付けられていた。このトランプは5年前の3件の事件でも現場に置かれていた。
5年前の事件では事件の発生順にハートの6、5、4がそれぞれ置かれていた。カウントダウンと思われるが、館の第一の事件ではハートのAであった。その後の事件でも同じトランプが現場に残されたことから連続事件であると推察できる。
被害者と番号を照らし合わせてみると「ノックスの十戒」の見立てではないかと推理した。
- 犯人は、物語の当初に登場していなければならない。ただしその心の動きが読者に読みとれている人物であってはならない。
- 探偵方法に、超自然能力を用いてはならない。
- 犯行現場に、秘密の抜け穴・通路が1つより多くあってはならない。
- 未発見の毒薬、難解な科学的説明を要する機械を犯行に用いてはならない。
- 主要人物として「中国人」を登場させてはならない。
- 探偵は、偶然や第六感によって事件を解決してはならない。
- 変装して登場人物を騙す場合を除き、探偵自身が犯人であってはならない。
- 探偵は、読者に提示していない手がかりによって解決してはならない。
- サイドキック[注 2]は、自分の判断を全て読者に知らせねばならない。また、その知能は、一般読者よりもごくわずかに低くなければならない。
- 双子・一人二役は、予め読者に知らされなければならない。
wikipediaより
この十戒は必ず守らなければならないというより、ミステリーとしての指南書みたいなものである。
一方で、一般的な十戒には「モーセの十戒」がある。
- 主が唯一の神であること
- 偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
- 神の名をみだりに唱えてはならないこと
- 安息日を守ること
- 父母を敬うこと
- 殺人をしてはいけないこと(汝、殺す勿れ)
- 姦淫をしてはいけないこと
- 盗んではいけないこと(汝、盗む勿れ)
- 隣人について偽証してはいけないこと
- 隣人の家や財産をむさぼってはいけないこと
wikipediaより
このモーセの十戒と照らし合わせてみると被害者とあてはまった。
ミステリーならノックスの十戒の方で見立てることはありそうだが、元ネタの十戒の方も扱っているのは珍しく、面白いと思った。
推理小説のアンチテーゼ
主人公と同級生の回想シーンで、作者が考える推理作家の仕事が読み取れる。
「ほら、推理小説のトリックはよく鉱脈に例えられるでしょう? その例に倣って、神様によって世界に存在する密室トリックの数があらかじめ決められていると仮定しましょう。つまり鉱脈の含む富の量には限りがあって、推理小説の歴史が始まってから百八十年の間にその富はあらかた掘りつくされてしまった。俗に言う、『富の枯渇』理論ね。
鴨崎暖炉. 密室黄金時代の殺人 雪の館と六つのトリック (宝島社文庫) (p.300). 宝島社. Kindle 版.
この推理小説に対する疑問は別作品でも取り上げられている。
「探偵役、というキャラクターもしかりやな。職業や性格で差別化してはおるが、謎解き自体は誰が説明しても同じような、無個性なものになることがほとんどや。
(中略)
探偵役たちも<模範装置>を読者に伝えるための装置でしかないものかもしれん」
(中略)
だとすれば─推理小説におけるオリジナリティーとは、何だろうか。
推理作家たちの必死の創作は、すべて代用可能なのではないだろうか。
「自分の仕事はAIにでもできるんじゃないか、と不安になったわけだ」
青崎有吾. オール讀物 2024年7・8月号 (p.83). 文藝春秋
オール讀物 2024年7・8月号、青崎有吾の有栖川有栖トリビュート競作「縄、綱、ロープ」(「有栖川有栖に捧げる七つの謎」に収録)で書かれた文。推理小説は昨今のAI技術で作れるようになってしまったのではないかと危惧している。
作中でも密室トリックを15種類でパターン化している。
その現代推理小説に対して一つの解答を表明している。
でもね、私はその理論は間違っていると思うの」
(中略)
鉱脈を掘り続ければ、やがて金は取れなくなる。でも本当にそこに『金が残っていない』ということは絶対に証明できない。掘り続ければ、いつか出てくるかもしれないからだ。 でも逆に『金が残っている』ことを証明するのは簡単だ。実際に掘り返して、それを衆目に晒せばいい。「まだ、ここには金があるぞ」そう高らかに叫べばいい。
「私はそれを証明するのが推理作家の仕事だと思うの」
鴨崎暖炉. 密室黄金時代の殺人 雪の館と六つのトリック (宝島社文庫) (p.300, 301). 宝島社. Kindle 版.
「だから推理作家は口が裂けても、『新しい密室トリックは存在しない』なんて言ってはならない。だってそれは自らの仕事を否定することになるのだから。噓でもいいから虚勢を張るの。そうすればいつかその噓から、真実が零れる日が来るかもしれない」
鴨崎暖炉. 密室黄金時代の殺人 雪の館と六つのトリック (宝島社文庫) (pp.300-301). 宝島社. Kindle 版.
現代の推理小説の読者や作者へのメッセージなのかもしれない。
解き明かした喜びと解けなかった喜び
3年前の事件と今回最後に解いた事件は一部同じトリックが使われている。
今回の事件は主人公が完全に解明した。3年前の事件に関しても推理をしたが、重要な手がかりを持っていないため犯人に問いただしたところで本作が終わる。
もし『隣室A』が存在するのならば、僕は彼女の作った密室の謎を解き明かしたことになる。それはとても喜ばしいことだ。
そして、もし『隣室A』が存在しないのならば──、
この世界にはまだ誰も知らない、密室トリックが存在することになる。
それは僕たち人類にとって、とても喜ばしいことだ。鴨崎暖炉. 密室黄金時代の殺人 雪の館と六つのトリック (宝島社文庫) (p.341, 342). 宝島社. Kindle 版.
この対比がとても良い。
もし推理が当たっているならば、主人公は犯人以外分からなかった3年前密室トリックを解き明かしたことになる。
しかし、主人公はミステリーのトリックなんてものはすでに掘りつくされていると考えていた。もし推理が間違っているならまだ誰も知らない密室トリックが存在していることになる。
この推理の結果が全く違えど、どちらも主人公にとって喜ばしいものである。
残された謎
最後まで読んだがいくつかの謎や引っ掛かった部分があった。
雪城白夜の死
雪城白夜は7年前に亡くなったと書かれているが、それ以外に詳しいことは書かれていなかった。館は詩葉井が引き継いだが、彼女は死別した夫の財産があるためそのお金で買い取っただけで面識はなかったように思える。
白夜がどのように亡くなったかは気になった。
依頼した女
実行犯は依頼した女とは別であったため依頼した女に関しては特定できなかった。
主人公たちもクローズドサークルの中では捜査ができないため、そこまでは分からなかったらしい。
3年前のトリック
主人公は3年前の事件を推理し、犯人の前で披露した。
その推理に対して犯人の返事は書かれず、読者目線では真相は分からないリドルストーリー的な幕切れだった。
小ネタ
密室殺人の歴史は?
密室殺人小説の歴史はWikipediaにまとめられている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%86%E5%AE%A4%E6%AE%BA%E4%BA%BA
世界最古のミステリー小説といわれている『モルグ街の殺人』もその一つ。
日本では江戸川乱歩なども扱っているが、初めて密室という言葉が使われたのは小栗虫太郎の『完全犯罪』(1933)の中にある「完全な密室の殺人」という記述だとされている。
また、個人ブログだが現実の密室殺人がまとめられている。
https://www.chickennoneta.com/entry/2023/05/28/085414
『私、気になります!』
主人公の友達、夜月のセリフ
「実は最近、人生で初めて『日常の謎』の小説を読んだんだよね」そんな大胆な告白をした。 「だから、一度言ってみたかったんだ。『私、気になります』って」
鴨崎暖炉. 密室黄金時代の殺人 雪の館と六つのトリック (宝島社文庫) (p.75). 宝島社. Kindle 版.
これは言わずもがな米澤穂信の古典部シリーズ。解説で、作者の好きな作品の一つに『クドリャフカの順番』が挙げられている。
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